流 れ 星
稽古の後の程よい疲労感は、心地よい。
束の間の充実感を味わいながら道場を後にすると、外は、寒波の襲来とやらで、風は冷たく、底冷えが
する。
ジャンバーの襟を立て、足早に駐車場に向かった。
少し歩いた所で、何気なく、夜空を見上げると、そこには、澄み切った空に、まばゆいほどの星空があった。 寒さも忘れ、しばしその場にたたずむ。
しばらくするうちに、光々と輝く星空に、包み込まれていくような気がした。
いつの時代も、人は、こうして夜空を見上げ、それぞれの想いを秘めて、星空と対話していたのだろうか。
その時、人は、どんな気持ちで、なにを考えていたのか、それを思うと感慨深い。
きっと、多くの人は、喜びや、悲しみ、そして、人間の心模様全てを、ここに、解き放していたのではなかろうか。ある人は 決して逃れられない運命と知りつつも、自らに、懸命に問いかけただろうし、また、遠く離れた人に、幸、多きことを、そっと祈り続けた人もいたはずである。
ここには、様々な人間ドラマがあるのだ。
久しぶりに見る星空の美しさと、不思議なくらいの気持ちの透明感が、時をも忘れさせてゆく。
そういえば、何年か前に、これと同じような美しい星空を見たことがあった。
空気の澄んだ、とある田舎の山道で、友人達と一緒に見た夜空の天体ショーだった。
手を差し伸べれば届いてしまうほどの距離に無数に輝くキラキラ星。
そして、次から次へと山陰に流れ、消えてゆく流れ星。
あまりの見事さに、車を降りて、しばらくの間、皆、無言で夜空を見上げていた。
今でも忘れられないシーンである。
もう一つ、生涯決して忘れられないシーンがある。それは、今まで見たどんな星空とも違う、例えようの無い悲しい夜空だった。
その日も、星が輝く底冷えのする寒い夜だった。12月の青い月も、あたりを寒々と照らし始めている。
私達は、凍える手を口息で温めながら、病院の片隅の薄暗い外灯の下で、じっと小さな扉を見ていた。
わずか数時間前に、願いもむなしく、帰らぬ人となってしまった友の亡骸を待っているのだ。
つらく、悲しい帰宅である。
共に待つ、傍らの友と、互いに交わす言葉もなく、長い沈黙が続く。重苦しくも、息苦しい時間が流れてゆく。
やがて、静かに扉が開き、彼を乗せた搬送車が現れた。
そこには、昨日までとはまったく違う現実があった。とても信じたくない、悲しい現実である。
そして、月夜に照らされたその光景は、筆舌に尽くしがたい、辛い光景でもあった。
明朗、快活、そして賢明さを持った誰にでも好かれる男だった。 人一倍健康でもあった。
そんな男が、まさかの予想もしない病魔に襲われ、旅だってしまった。
この時ほど、人の命のはかなさを感じたことはなかった。
思い起こせば、合気道をこうして続けているのも、彼のおかげかもしれない。
当初、周りの目は冷ややかで、時には負けそうな時があったが、彼の一言に勇気付けられたからである。
どんな言葉であったか今は、思い起こせないが、とにかく大きな助け舟になったことだけは確かだった。
在りし日のことが、走馬灯のように想い巡る。
しばらくして、月明かりの中を静かに、ゆっくりと車が走り出した。
慣れ親しんだ夜の町並みを、名残惜しむかのように厳かに走ってゆく。
そして、追走する私たちの車窓からは、こぼれんばかりの星空がみえる。
あの山道で見た時のような、星空が広がっている。
ただ、まったく違うのは、その空は、美しさも、感動もない、無味乾燥な空だった。涙色の空だった。
冷たい月の光と、光々と輝きながらも、悲しみを戴いた星空の中を、彼を乗せた車は、長年住み慣れた我が家へと静かに向かっていった。
この場に立ちすくんでどのくらい経っただろうか、稽古で暖かくなった体が冷え始めてきている。
巡る想いと、高ぶった気持ちを抑えながらその場を後にする。
やがて、満天に光る星は、たおやかに、なおも、輝きを増してゆく。
そして、武道場の屋根の上に、流れ星が一つ、また一つ、あたかも、誰かにメッセージを送るかのように、緩やかに西の空に向かって流れていった。
2005年2月17日
岩瀬康夫