28回    2009May07    金子信造

A身体図式の構造としての「丹田」、「中心軸」

『合気道の体捌きは、動く場合は一つの中心を得て恰も独楽のごとく廻る。そして静止した場合は物理学者のいわゆる正三角四面体というべき、まことに安定感のある態勢を示現する。

 この構えは、形として合気道技法の理想であり、これが中心となって動く際に描く点の軌跡が球体と近づくとき、前記独楽の如き体の捌きが現われてくるのである。即ち合気道の技法は、一つの中心をもった球運動によって相手の重心を変え、相手をしてその運動に吸収され、または運動の力によってはねとばされるようにならしめる形にもってゆくことである。』(「合気道」監修道主植芝盛平 著者植芝吉祥丸 光和堂、p158

 昔から柔術の極意をあらわす言葉として「引けば押せ、押せば引け」ということがある。

『これを合気道の原理からいえば「押せば廻れ」「引けば廻りつつ入れ」ということになる。』(前掲書「合気道」)

人体を安定せしめるには丹田に重心を納めるにあると時に触れて述べてきた、だが胃のような臓器としての丹田なるものはない、同様に天地に貫く一直線としての中心軸も脊椎のような骨格器官としてはない。それは意識として、あるいは体性感覚としてあらはれる。いずれも解剖学的器官(物)ではなく身体図式として、日々の修行によって培われるのである。

自転車に乗れるようになった課程、スキーで滑降できるようになった課程を思い起こしてみれば、重心が定まらずフラフラして転びがちだったのが、地球の中心から天頂を結ぶ中心軸に自己の重心を丹田に収めて一致せしめ得たと感じたとき、安定できたことを理解できるであろう。

二本足立では骨盤の仙骨が垂直に立つこと、前に寝たり、仰け反ったりしていないこと。脊椎の上端が頭骸骨の大坑に垂直にはまって、顎を突き出したり,面を伏せたりしていないことが直立姿勢が安定である条件であり、体の中心軸が意識される。

椅子に腰を下ろしていて、立とうとするとき額を軽くおさえられると立ち上がれないことはよく知られている。椅子に乗っていた重心を脚の上に移し替えないと、丹田を脚上に、つまり前方に移動しないと、重心が中心軸に一致できなくて立てないのである。姿勢制御の原理であり、さまざまな技に活かされている。

同様に、正坐から立とうとするとき、まずつま先を立てる。正坐からつま先を立てようとするとき、額を軽くおさえられるとつま先を立てられず、立てない、尻の上から脚の上に重心を移し換えないと立てないのである。即ち座り技とて原理は一つである。

身体の重心である丹田を直立二本足立の中心軸に一致させる。自己の安定はこれであり、相手の崩れは、これの不一致である。つまり中心軸を制御して、丹田から重心を外させる。

まずは人の立つについての基本条件については今はここまでとしよう。「古事記」では天の御柱が八尋殿に先立ってたてられる。ついで御柱のまわりを八尋殿で右旋、左遷する、つまり、まず立ち、そして腰,脚、腕…全身が螺旋運動してまわる。そこでの引力、遠心力(「武産合気」等でしばしば語られている。物理学的概念よりはかなり広く、引き付ける力、跳ね飛ばす力のような日常語的に解される)については次回以降とする。

 

実技演習

片手取り各種

Topへ

葛飾ホームへ