21回      2008.Aug.07      金子信造

5.再帰的加工運動

 サッカーで間近な相手と対峙する時(手足が同位相)、走り回っている時(手足が逆位相)、野球でバッターボックスに立った時(手足が同位相)と、走塁の時(手足が逆位相)とそれぞれに運動の相は違う。運動の相が転移する事は、機械が同じ相での繰り返ししかしないのに対し、課題に応じた柔軟な運動が出来る事であるが、人の運動は同じ相での繰り返しは苦手である。まして正確な繰り返しなどはなかなか出来ない。

人は生まれ育つうちに身につけた動作で、日常の事は大抵不自由なく過ごしている。

だがスポーツなどでよい動きをしようとすれば、日常動作では出来ない事が多すぎる。

 イチローはマスコミが彼の打法を「振り子打法」と呼ぶ事に違和感があるといっている。バッテングでのよい動きを追っていった結果、他人からすれば外見が振り子のようだというに過ぎず、身体構造ぬきに動きの形を真似てもイチローの打法とはならない。

 スポーツの楽しさは、他人より上手くなるということもあろうが、出来なかったことが出来るようになる所だろう。 

 運動していてたまたま、上手くいった、同じことをやりたいと思ってもなかなか思うに任せない。上手くいく事は繰り返しいつでも上手くいくようにしたいし、更にもっと上手くもなりたい。そこで練習する。武道ならば稽古をする。

 日常動作でも、スポーツや武道の動作の真似事は出来る。アマチュアの競技などは、ほとんどそうだし、しなれればこなれて見栄えもよくなってくるが、理に合わない個人の癖というべきことが多い。ダメなものはいくらこなれてもダメなのである。だが成長に伴って身についている日常動作、これが基になって業、技能は修得される。

 静止した物を対象にしたゴルフ、弓などは、動きの大きな競技よりも、日常動作と求める動作との乖離は素人にも誤魔化しが効かず、違い歴然である。まして体操、日本舞踊、能、歌舞伎など自身の身体が対象そのものである運動は日常動作との質の違いは言うまでもない。

 下手であろうと上手であろうと、どんな運動も、全身の協調構造によって行われる。この自分自身の協調構造作りを再帰(自分自身に帰ってくる)的加工運動とよぶこととする。練習や稽古はこれにあたる。職人芸の習得もこれである。

 

実技演習

交叉取り各種

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