12回       2007.Nov.1           金子信造

日本書紀が日本の正史として(宣長以前では「古事記」は影的存在であった)、アジア世界の標準である漢文で、中国の陰陽論と儒教を解釈枠として構成されたことは多くの論者によって指摘されている。古事記は漢字を使って和文をめざした。

訓(よみ)と音(こえ) (太安万侶、「古事記」序)

(序は漢文であるが原文で提示すると訳文を記さねばならず煩雑になるので、金子の読み下し文ですすめる、本文は漢字での和文だが、これも以下同様とする)

「上古の時、言意(ことば、こころ)並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること,、字に於きて即ち難し、己に訓(よみ)に因りて述ぶれば、詞(ことば)心に逮(およば)ず、全く音(こえ)を以ちて連ぬれば、事の趣更に長し。」

これの本居宣長「古事記伝」による説明(以下、宣長、記伝と略称す。歴史的仮名遣いを用いるが、( )内に読みやすいように金子が文字を補う。但し同じ読みは初回のみ記す)

「此文を以(もちて)見れば、阿礼(稗田阿礼)が誦(よめ)る語(ことば)のいと古かりけむほど知られて貴し、敷文(ぶんをしく)と構句(くをかまふる)とは、ニ(ふたつ)にあらず、共にただ文にかきうつすを云うなり、於字即難(じにおきてすなはちかたし)とは、文に書取がたきをいふ、文は漢文なればなり<後世(のちのよ)の如く仮字文(かなふみ)ならむには、いかなる古語も書取がたきことなけれど、当時(そのかみ)はいまだ仮字のみを以て事を記す例はあらざりき、>上代(うはつよ)のことなれば、意(こころ)も言(ことば)も共にいと古くして、当時のとは異なるが多かるべければ、漢文にはかき取がたかりけんこと宜(うべ)なり、・・・此文をよく味ひて、選者のいかで上代の意言を違(たが)へじ誤らじと、勤(いそ)しみ慎まれけるほどをおしはかるべく、はた書紀(日本書紀)などの如(ごとく)漢文いたくかざりたるは、上代の意言に疎かるべきことをもさとりつべし」

たとえば「古事記」本文の第一行「天地初発之時 於高天原 成神名 天之御中主神 次高御産巣日神 次神産巣日神」の初句の天を阿米(アメ)と訓む、アメは和語(やまとことば)の訓みである。地を都知(ツチ)訓む、天地と塾して表れているので漢語からきているとも思える。漢字の天も地も、やまとことばアメとツチの仮字(借り字)である。(「記伝」三之巻、また宣長の「阿毎菟知(あめつち)弁」参照)

アメはソラ(ソ=空っぽ、ラは接尾語)の上にあって、そこから落ちてくるのはアメ(雨)で、アマビト(海人=漁師)で分かるように地上のアマ(アメの転)は海で同根の語である。アメツチは豊かで清らかな水に恵まれた豊葦原之水穂之国のイメージされることばである。中国大陸の天地とアメツチは意味のずれがある。天をアメと訓むことは漢字の天がもつ天帝、天道、天理などの含意を排除することである。漢字を借りて訓読すると漢字が表意文字であることにひずられるからといって、この後に出てくる漢字の音だけ借りて「久羅下那洲多陀用弊流(くらげなすただよへる)」のように一音一字にやまとことばを移しては、長ったらしすぎる。当時は「かな」のような字がなかったのである。また日本書紀のように漢文で書いては上代の日本人のこころは顕せない。

やや長いが「記伝一之巻、古記典等総論、書紀の論(あげつらい)」から引用する「今我は是れ日の神の子孫にして、日に向かいて虜を征するは、此れ天道に逆(そむ)けリ。また皇天の威に頼りて、凶徒戮に就く云々(以上書紀原文は当然漢文、金子が読み下す)[不亦可乎といふまで、此文すべて漢意(からごころ)なり]といひ、また罪を天に獲る(原文漢文)などとある類の天は、もはら漢籍意(からぶみごころ)の天にして、古への意にそむけリ、[天命天心天意天禄などあるたぐひみな同じ]いかにといふに、天はただ虚空(そら)の上方(うえ)に在りて、天ッ神のまします御国なるのみにして、心も魂(みたま)もある物にあらず、然れば天ノ道といふこともなく、皇天之威などいふべくもあらず、罪を獲べき由もなし、然るを天に神霊(みたま)あるが如くいひなして、人の禍福(わざはいさいはい)も何も、世ノ中の事はみな、その所為(しわざ)とするは、漢国(からくに)のことにて、ひがごとなるを、・・・外国(とつくに)には、萬ッの事をみな天といふは、神代の正しき伝説(つたえごと)なくして・・・凡て書紀を看むには、つねに此の差(けじめ)をよく思うべき物ぞ」

 

前回の予告では、この回で五十音、七十五音についても取り上げるとしていたが、今回の「古事記」の冒頭の読み方は、まだまだ述べるべき事多く、それらは、この「古事記」冒頭の句に就いての論を終えてからとする。従ってこの項次回に続く。

 

実技演習

前回、合気道は「むすび」を根幹としているといったが,それを実現する条件は、姿勢(構え)はつねに半身(偏<ひとえ>身)、捌きは入り身転換、制御は中心軸(すみきり)であり、これらをなす動きは重力移動、重力移しこみである。そしてこれらを支える足法はソの字立ち(撞木立ち)である。このことはどんな攻撃、たとえば突き、正面打ち、横面打ち、片手取り、肩取り等々であろうとおなじである。

このことを一教、二教、四方投げ、入り身投げの実技で稽古(古<いにしえ>を稽<かんがえる>)する。

これにつけて他の武道との併修について日ごろ感じている事を述べる。私がそうであったが、合気道に入門する以前に、修行してきた武道の場合は合気道を習うに従い合気道になっていく、それは合気道のこれまで学んできた武道にはない「むすび」の思想が合気道でしか会得でない事を悟らされ、その事が自分が合気道のなかに武道の神髄を感じさせていたのだと入門時にはハッキリ分からなくとも、おいおい気づかされていくからだと考えられる。これに反し、合気道を学びながら、空手や剣術を習って武道の幅を広げるとか、合気道の技の参考にしようなどとして、一を以って万に往くつもりの人も多い。すると習う武道にはその武道の型があって、例えば立ち方について云えばソの字立(撞木立)など忽ち修正されて並行立や四股立に矯正され、そうでなければ練習が出来ない技も習わされ、万を以って万に往くことになる。そうなると足法も違い、合気道で受けが自分から崩れてくれるようなことでないと、まともに動けないのに、そこに気づかず「むすび」からは遠い練習で、ただ慣れこなれた動きにはなるので、それでよいと思い違い、合気道の稽古でなくなってしまっている人々を沢山見てきた。

型で学ぶというのは、通常その身体操作を分析的なメカニズムに当てはめて行く、理想的と思われる身体操作法に動きをちかづける事と思われている、だから動きの順番だの手や足の位置だのに気をとられている。だが動きが術理にあっているかどうかは自分の体が今どんな状態かで決まるのであって、足法について云えば重心(丹田)が地軸に垂直に落ち両足の足心(土踏まずのやや外側、足掌の中央部)の真中を通らなければならない、従って転換や転身で足拇指球で回転しては重心が前に偏る。スキーでも爪先で回転ではバランスを崩すから、足心で操作する。これは型にはめるのではなく、重心がどこにあるか気づくことで会得されていく。このように技は相手との相互につくりだす構造関係への気づきこそがつくりだしてゆく物である。このような感覚,気づきができるなら、他流を学んでも一を以って万に往く事が出来えようがなかなか難しい。習った事が邪魔をして、真っ当な技にならないほうが一般だろう。

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